初午大祭レポ
少々現実離れした話をしたいと思う。
苦手な方は回れ右。
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まあ現代風にいうとすれば、自分は神社ファンである。というか、神様のファンだ。
好きな神社や行きたい神社、好きな神様は数あれど、こと絵のことに関してはとてもご縁の深い神様がいる。
宇迦之御魂神様。
そう、お稲荷さんである。
お稲荷さんといえば祟りがあるとかで恐れられることがあるようだが、基本的に神様は祟らない。そもそも怒るということがないからだ。似たようなものがあるとすれば、神様をあんまり粗雑に扱うと、神様にお仕えしている「御眷属様」が人間に「氣づいてもらう」目的で、さまざまな現象を起こしたりするということか。それですら、御眷属様は怒ってはいないし怖がらせたいわけでもないのだ。こういう風にするのは好ましくないことなのですよ……と教えてくださっているのである。言葉の通じない現代の人間となんとかコンタクトをとりたいのである。
肉体をもたないのに現象を起こすのはさぞかし大変であろう。なんと愛情深いことか。
こと愛に関しては神様御眷属様方は違えることがない。昔は神様方と会話ができる人間も大勢いたらしいが、いまは激減している上に、まともな人はほんの一握りだという。
話が逸れるが、霊能者という言い方は自分は好きではない。周囲が無理解であることが当たり前のような言い方であると感じる。目に見えないものが観えるとか聴こえるとか色々感じる方々も特別扱いされたくないだろうに、と思う。厳しい見方をしてしまえば、一種の差別的表現ではないだろうか。
話をもとに戻そう。
そのお稲荷さんだが、今日が初午大祭ということをちょうど2日ほど前に聞き、がぜん興味が湧いて北関東は茨城県に早朝から向かった。
ホームページを見ても、開催時間のみ載っていてあとはなにも書いていない。
なにをやるのかさっぱりだったが、こういうときは行くだけ行ってみる性分だ。行ってやってなかったら普通に参拝して帰ってくればいい。なにより神社の境内はさっぱりしていてとても居心地が良い。それだけでも十分すぎるほど気分転換になる。
支度していると旦那さんをうっかり起こしてしまったが、そのおかげで1万円お小遣いをいただけた。財布に1000円しかなかったのでありがたい。マイナス1度の気温の中、カイロを背中と足の裏に貼って車で向かう。
家を出ていきなり、沈んでゆく大きな満月が見られたが、あいにく写真を撮れなかった。
そして、行く道の途中でご来光を拝む。非常に神々しく感動ものである。が、眩しい。フロントガラスの内側が汚いことに氣付くが時すでに遅く、東からくる陽光が拡散してしまい非常に前が見づらく怖い思いをする。明日の朝拭こう……
さて、境内に着くと混んでいるかと思いきや意外とそうでもない。大祭とはどんなことをするのかよく知らないので、手水をしてとりあえず本殿に参拝する。
社務所の近くにテントが張ってあり、そこになにか紙が置いてある。祈祷の受付書である。
大祭とは御祈祷してもらうイベントなのか……?よくわからなかったが、衝き動かされるようにして祈祷を申し込んだ。祈祷してほしい願い事を書く欄があったが、自分はただ大祭に来たかっただけだったのでいつものように御礼参りにした。
自分のお金で(小遣いだが)御祈祷をしていただくのははじめてである。待合室や拝殿で、優しげなおばさまやおじさまに話しかけていただいて朝の寒さで荒んだ心があたたまった。
少し時間が押して大祭の開始である。
最初に太鼓を叩くのはわかっていたが、そのあと背後から聴こえる雅楽の音。振り返ると、三門から雅楽を演奏しながら練り歩いてくる方がいるではないか。
御祈祷と言えば神主がひとり、いいとこ巫女さんがひとりいるぐらいの感覚でいた。
驚くのはまだ早い、入ってくる神職の方、その数10名ほど。そして、巫女さんが二人も。
いったいなにが始まってしまうんだ。もうワクワクして仕方なかったがうわつく心を抑えて神妙に御祈祷を受ける。
最初に大祓詞が奏上され、そのあと宇迦之御魂神様への拝詞が奏上される。
そして、神様の御霊がお降りなすったとき、異様な感動に包まれ、涙が出て仕方なかった。ときどき、こういうことがあるのだ。オフで会う皆様方は、神社参りのときに自分が突然泣きだしても暖かい目で見守ってやってほしい。
後学のためにと思って涙を拭いながらしかと両の眼を開いて見る。神様に捧げる神饌が次々運ばれてくる。大きな瓶子と、地場野菜なのかカリフラワーやキャベツのようなものとあとパプリカ等、木の御札等が載った三方を受け渡しながら運んでゆく。
長い祈祷の祝詞が奏上される。途中で参加者全員の名前を読み上げるのだが、これが長い。長い長い。無駄に頑張ってずっと正座していたため、脚が痺れて痛くなってきてしまい、ちょっと脚をずらしたりなんだりしてなんとか耐えきる。床暖房が入っていたせいか、血が通う時のあのビリビリ感がほとんどなかったのが印象深い。有難いことである。
脚が痛くて膝元にコートを引き寄せるが、フェイクじゃないファーがついていることに今更氣づいてあわててバッグに突っ込む。
最後に玉串奉献をして終わるのだが、玉串とか扱うの結婚式以来である。どっちで取ってどっちで回すのか、全く覚えておらず慌てる。スマホで検索するわけにもいかず、周り見るとバラバラでもうよくわからないのでとりあえず氣持ちだけは込めて奉献する。
そのあとは三々五々解散してゆく祈祷の客たち。帰りになんと大きな木札と下がりもののお菓子をいただく。掛け軸いるかどうか聞かれたのでいただくことにした。
こうして無事に帰路に着いたのだが、家に帰って寒さで疲れて2時間ほど爆睡してしまった。
そして、不思議な夢を見た。
ちなみに蝶になった夢ではない。
うちには前に実家にお祀りしていた荼枳尼天様のお姿の写しがある。お姿をお返しに行くのに預かった際、練習を兼ねてこっそり模写したのだ。
そして、いただいた掛け軸を開いてみると、なんと宇迦之御魂神様のお姿ではないか。
神棚もないのに我が家にお稲荷さんと呼ばれる御方のお姿が揃ってしまった……
吊れるところがここしかないのでほんとむさ苦しいところで申し訳ない……
論文でもなんでもない個人の感想文なので、細かいツッコミは御容赦願いたい。
そして、これを最後につけ加えておけばインターネット特有の宗教戦争には巻き込まれずに済むであろう。
(感じ方には個人差があります)
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